【後半100 (1825年〜現在)】
1.
外国船打払い令が出される
2.1825年
いやに強引(1825)な打払い令
外国船打払い令
清とオランダ船以外の外国船は撃退することを命じたもの。
シーボルト事件が起こる
3.1828年
いやにはにかむ(1828)シーボルト
シーボルト事件
シーボルトはオランダ商館付のドイツ人医師。長崎の鳴滝塾で医学を教えていたが、帰国の際、国外持ち出し禁止の日本地図を持ち出したことが発覚、国外追放になった。
天保の大飢饉が起こる
4.1833年
人はさんざん(1833)天保の大飢饉
天保の大飢饉
江戸三大飢饉(享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉)のひとつ。
モリソン号事件が起こる
5.1837年
いやみな(1837)モリソン砲撃する
モリソン号事件
漂流した日本人をともない通商と布教をめざして浦賀に来航したアメリカのモリソン号を、日本側が砲撃し退去させた事件。砲撃は外国船打払令による。
大塩平八郎の乱が起こる
6.1837年
人はみな(1837)助けると大塩の乱
大塩平八郎の乱
大坂町奉行所の与力だった大塩平八郎が天保の飢饉に苦しむ民衆の救済を訴えたが入れられず、蜂起した事件。天領で幕府の役人が起こした事件だけに幕府に大きな衝撃を与えた。
蛮社の獄が行われる
7.1839年
人は錯乱(1839)、蛮社の獄
蛮社の獄
モリソン号事件を批判した渡辺崋山・高野長英らを弾圧。崋山は国もと蟄居後に自殺、長英は脱獄自殺した。
清とイギリスの間でアヘン戦争が起こる
8.1840年
人はヨレヨレ(1840)、アヘン戦争
アヘン戦争
アヘンの禁輸を巡って清(中国)とイギリスの間で起こった戦争。清はイギリスに対して不平等条約を結ばざるをえなくなった。
水野忠邦が天保の改革を始める
9.1841年
人は良い(1841)忠邦、天保の改革
老中水野忠邦が行った天保の改革の開始
(1)棄捐令(きえんれい)、(2)株仲間の解散、(3)人返し令、(4)上知(地)令(あげちれい)などをおこなったが、上知(地)令への反発が強く失脚した。
ペリーが浦賀に来航する
10.1853年
いや降参(1853)します、ペリーの黒船
ペリーが浦賀に来航
アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーがフィルモア大統領の国書を持って軍艦4隻で浦賀に来航し開国を求める。翌年再び来航し日米和親条約を締結。
日米和親条約を結ぶ
11.1854年
一夜こし(1854)鎖国が終わった和親条約
日米和親条約に調印
下田、箱館を開港した。同様の条約をオランダ、イギリス、ロシアとも締結。当時の幕政の中心は老中阿部正弘であった。
日米修好通商条約を結ぶ
12.1858年
一番ごやっかい(1858)な通商条約
日米修好通商条約に調印
大老井伊直弼が天皇の許可を得ずにハリスと調印。箱館のほか、神奈川、長崎、新潟、兵庫を開港。領事裁判権(治外法権)の承認、関税自主権がないなど日本に不平等な条約だった。
安政の大獄が行われる
13.1859年
人は号泣(1859)、安政の大獄
安政の大獄
井伊直弼の専制政治に反対する尊王攘夷派や一橋派の大名、志士らが処罰された事件。徳川斉昭をはじめ、吉田松陰、橋本左内などが処罰された。
桜田門外の変が起こる
14.1860年
井伊の野郎を(1860)、桜田門外で暗殺
桜田門外の変
安政の大獄に憤激した水戸・薩摩の脱藩浪士が江戸城の桜田門で大老井伊直弼を暗殺した事件。幕府の権威は失墜した。
生麦事件が起こる
15.1862年
いやむつかしい(1862)生麦事件
生麦事件
薩摩藩主島津久光の行列が、神奈川の生麦付近で行列の直前を騎馬で横切ったイギリス人を殺傷した事件。幕府はイギリスの賠償要求に応じたが薩摩藩は応じず、翌年の薩英戦争に発展した。
坂下門外の変が起こる
16.1862年
坂下門外の変を起こした人は牢に(1862)入る
坂下門外の変
和宮降嫁に憤激した尊攘派の志士たちが、公武合体をすすめた老中安藤信正を江戸城の坂下門外で襲い、負傷させた事件。この事件が原因で安藤信正は失脚した。
薩英戦争が起こる
17.1863年
一夜で無惨(1863)、薩英戦争
薩英戦争
前年の生麦事件の報復のためイギリス艦隊が鹿児島沖に現れ交戦。薩摩は攘夷の無謀を理解し、講和した。これをきっかけに、薩摩とイギリスは接近した。
下関戦争が起こる
18.1864年
大砲、一発虫(1864)の息だよ長州藩
下関戦争
長州藩による外国船砲撃事件の報復と関門海峡通行の安全確保のため、英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃、砲台を占領した。この結果、長州藩では開国を主張する勢力が成長する。
薩長同盟が結ばれる
19.1866年
一夜ろくろく(1866)寝ずに結んだ薩長同盟
薩摩藩と長州藩が同盟を結ぶ
坂本龍馬の仲介で、反目しあっていた薩摩藩と長州藩が、倒幕に向け手を結んだ。
ええじゃないかの乱舞が起こる
20.1867年
人はむなしい(1867)、ええじゃないか
ええじゃないかの乱舞
東海道・近畿を中心に起きた大衆の乱舞。伊勢神宮のお札が降ったという噂が発端となり、民衆は「ええじゃないか」と繰り返した歌を歌って踊り狂い、富豪の家に押し入り金品を奪い取った。
大政奉還が行われる
21.1867年
一夜むな(1867)しい大政奉還
大政奉還と王政復古の大号令
十五代将軍徳川慶喜が土佐の山内豊信(容堂)らの意見を受け入れ、政権を朝廷に返上。「王政復古の大号令」が出される。
五箇条のご誓文が出される
22.1868年
人はむやみ(1868)に破るなご誓文
五箇条の御誓文
明治天皇が神に誓う形式で発布された明治新政府の基本方針。「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ。」
五傍の掲示が出される
23.1868年
一夜でむりやり(1868)5枚の立て札
五榜の掲示
五箇条のご誓文の翌日に明治政府が出した、民衆に対する最初の禁止令。
戊辰戦争が起こる
24.1868年
戊辰戦争、徳川倒していばろうや(1868)
戊辰戦争が起こる
薩長を中心とした新政府軍と旧幕府軍の間に起こった戦い。京都の鳥羽伏見の戦いに始まり、函館の五稜郭の戦いまでをいう。
版籍奉還が行われる
25.1869年
人はむく(1869)れる版籍奉還
版籍奉還
諸藩主が土地(版)と人民(籍)の支配権を朝廷に返上。旧藩主を知藩事として旧大名領の支配を継続させた。
廃藩置県が行われる
26.1871年
藩の一派泣い(1871)ても廃藩置県
廃藩置県
旧藩を廃止し全国を明治新政府の直轄地とする政策。薩摩・長州・土佐の武力を背景におこなう。旧藩の債務は新政府が引き継いだので大きな抵抗はなかった。
「学問のすすめ」が出される
27.1872年
人は何(1872)かを教える「学問のすすめ」
福沢諭吉が『学問のすすめ』を著す
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名な文句から始まり、人間の平等、学問の尊重など、近代化のために必要な考え方を説いている。
学制が発布される
28.1872年
人は何人(1872)学校へ行った?
学制の公布
フランスを参考にした最初の近代的教育制度。全国を8大学区に分け、その下に中学区、小学区を設置。当時の社会状況に適合せず1879年の教育令により廃止となった。
新橋 - 横浜間で日本初の鉄道が走る
29.1872年
いやな臭い(1872)の鉄道開通
鉄道開通
イギリスの技術・資金を利用して新橋-横浜間に開通。
徴兵令が出される
30.1873年
人はなみだ(1873)の徴兵令
徴兵令
大幅な免除規定があり、実際に兵役が課せられたのは農家の次男・三男であった。
地租改正が始まる
31.1873年
いやな3%(1873)の地租改正
地租改正
明治政府が財政基礎の確立のため施行した土地、租税制度の改革。土地の所有者に地券を発行し、地価の3%を現金で納めさせた。
民選議員設立建白書が出される
32.1874年
批判なし(1874)には出せない建白書
民撰議院設立建白書
藩閥政府を攻撃し、国民の選挙による議会の開設を要求したもの。征韓論にやぶれ参議をやめた板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣らが提出した。自由民権運動のきっかけとなる。
日本とロシアの間で国境を確定した条約を結ぶ
33.1875年
いやな交換(1875)、樺太千島
樺太千島交換条約
1855年の日露和親条約では樺太は両国民雑居の地となっていたが、この条約で樺太はロシア領、千島は日本領と確定。列強諸国と対等の立場で結んだ最初の条約。
西南戦争が起こる
34.1877年
人は父(1877)と慕った西郷さん
西南戦争
征韓論に敗れて参議をやめた西郷隆盛を総大将とした鹿児島士族の反乱。徴兵令によって組織化された新政府軍に敗北した。日本最後の内乱。以後反政府活動は言論を中心に行われるようになった。
板垣退助らが自由党をつくる
35.1881年
人はハイ(1881)という自由党
板垣退助らが自由党を結成する
自由民権運動が高まり、政府が10年後の国会開設を約束したことから、国会開設に向けて日本最初の政党となる自由党が結成された。
内閣制度ができる
36.1885年
批判はごめん(1885)の内閣制度
内閣制度発足
太政官制に代わって組織された最高行政機関。内閣総理大臣は天皇が指名した。初代の内閣総理大臣は伊藤博文。
ノルマントン号事件が起こる
37.1886年
人は、はむかう(1886)ノルマントン号事件
ノルマントン号が沈没
イギリス人乗員はほぼ全員生存、日本人乗客は全員溺死。乗客を残し逃げた疑いがあったが、日本に裁判権がなく、乗員は無罪となる。この事件をきっかけに不平等条約撤廃の声が高まった。
大日本帝国憲法が発布される
38.1889年
いち早く(1889)アジアで憲法制定
大日本帝国憲法の発布(2月11日)
君主権の強いプロイセン(ドイツ)の憲法を手本とし伊藤博文を中心に作成された。秘密のうちに枢密院で審議され、天皇の定めた憲法として公布された。
第1回帝国議会が開かれる
39.1890年
人はぐれず(1890)に議会に集合
第1回帝国議会
第1回衆議院選挙がおこなわれ、帝国議会が開会。帝国議会は貴族院と選挙で選出された衆議院で構成。選挙権は満25歳以上の男子で直接国税15円以上納める者。(全人口の約1.1%)
足尾鉱毒事件を田中正造が議会で取り上げた
40.1891年
いや、悔いがのこる(1891)足尾鉱毒事件
足尾鉱毒事件
栃木県の足尾銅山の鉱毒被害を地元選出の衆議院議員田中正造が1891年に帝国議会で取り上げ、天皇に直訴(1901年)した。
領事裁判権を撤廃する
41.1894年
撤廃に一番苦心(1894)した治外法権
治外法権の撤廃
陸奥宗光外相によって日英通商航海条約が締結され、不平等条約の内容の1つであった治外法権(領事裁判権)の撤廃に成功した。
日清戦争が起こる
42.1894年
一発急所(1894)に日清戦争
日清戦争
甲午農民戦争(東学党の乱)をきっかけに朝鮮の支配権をめぐって日本と清が戦った。日本が勝利し、「眠れる獅子」と呼ばれた清が敗れた。翌年、下関条約で講和。
ロシア、フランス、ドイツから三国干渉を受ける
43.1895年
違約ごめん(1895)と返す遼東半島
下関条約
日清戦争の講和条約。日本の全権は伊藤博文、陸奥宗光。清国の全権は李鴻章。遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、2億両の賠償金などを認めさせた。
八幡製鉄所が操業を始める
44.1901年
日暮れ人(1901)は帰る八幡のまちへ
八幡製鉄所の操業
開始日清戦争の賠償金をもとにドイツの技術を導入して建設。重工業発展の基盤となる。
日英同盟を結ぶ
45.1902年
遠くをに(1902)らんで日英同盟
日英同盟を締結
ロシアの南下政策に対抗するため、日本がイギリスと結んだ同盟。第一次世界大戦では日本は日英同盟を理由に参戦した。
日露戦争が起こる
46.1904年
日露戦争、勝った日本は得をした(1904)
日露戦争
朝鮮の支配権をめぐって日露が対立し戦争に発展。翌年、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトのあっせんによりポーツマス条約で講和した。
伊藤博文が韓国のハルビン駅で暗殺される
47.1909年
塾へ遅(1909)れた博文暗殺
伊藤博文が暗殺される
初代の韓国統監であった伊藤博文が中国のハルビン駅で、韓国併合に反対する韓国の青年、安重根(アンジュングン)に暗殺された。
韓国を併合し、植民地とする
48.1910年
いく十年(1910)苦しめるのか韓国併合
韓国併合
前年の伊藤博文の暗殺をきっかけに日韓併合条約を調印。1945年まで朝鮮総督府による植民地支配をおこなう。創氏改名、神社参拝の強制などの皇民化政策を進めた。
日米修好通商条約で結んだ不平等条約の改正を達成する
49.1911年
低い位置(1911)高めて条約改正
関税自主権を回復
小村寿太郎外相が日米通商航海条約改正に成功し、関税自主権を完全に回復。これによって江戸時代の末期に結ばれた不平等条約が改正された。
第一次世界大戦が起こる
50.1914年
行く人死(1914)んだ第一次大戦
第一次世界大戦(〜1918)が起こる
サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を理由に参戦。ドイツが中国で支配してた青島などを占領。さらに中国に二十一か条の要求を突きつけた。
中国に21か条の要求を出す
51.1915年
一句一語(1915)考えて21か条
中国に二十一カ条の要求
中国における利権拡大のため袁世凱政府に要求した。山東省のドイツ権益の譲渡などを求めた。
ロシア革命(3月革命、11月革命)が起こる
52.1917年
得意な(1917)革命、ロシアで起こる
ロシア革命(3月革命、11月革命)
3月革命でロマノフ王朝が倒れロシア帝国が崩壊したが、新政府は戦争を継続したのでレーニンを中心に11月革命が起こった。
連合国軍がシベリアに出兵
53.1918年
行くのいや(1918)だよシベリア出兵
シベリア出兵
ロシア革命に対し、ロシア革命政権打倒のため日米英仏が出兵。日本のみ1922年まで出兵を継続した。これをきっかけに、日本国内では米の買い占めがおき米価が急騰。米騒動が発生した。
米騒動が起こる
54.1918年
行く人は(1918)米よこせと大騒動
米騒動
シベリア出兵にともなう米の買い占めや売り惜しみが原因で米価が急騰。富山県の漁村の主婦が起こした一揆をきっかけに騒動が各地で起こった。政府は軍隊を出動させ鎮圧。寺内正毅内閣が崩壊した。
ベルサイユ条約が結ばれる
55.1919年
パリに行く行く(1919)ベルサイユ
ベルサイユ条約調印
第一次世界大戦の講和条約としてパリ講和会議で結ばれたドイツと連合国の条約。ドイツに多額の賠償金を課した。日本は山東省の旧ドイツ権益の継承、南洋諸島の委任統治を認められた。
国際連盟ができる
56.1920年
ひとつ国まるめて(1920)国際連盟
国際連盟の成立
アメリカ大統領ウィルソンの提唱で設立された。本部はスイスのジュネーブ。発足当初の常任理事国は英・仏・日・伊。提唱国のアメリカは上院の反対で不参加。
関東大震災が起こる
57.1923年
大震災、遠くに見(1923)える焼野原
関東大震災
マグニチュード7.9。死者10万人を超える震災。混乱の中で数千人の朝鮮人や、社会主義者に対する虐殺事件がおきた。震災の起こった9月1日は防災の日となった。
普通選挙制が実現する
58.1925年
行く、25歳(1925)で普通選挙
普通選挙法の成立
加藤高明内閣によって実現した衆議院議員選挙法の改正。納税資格制限を撤廃し、25歳以上の男子に選挙権、30歳以上の男子に被選挙権を認めた。
治安維持法が成立する
59.1925年
国にひどく都合(1925)のいい治安維持法
治安維持法の成立
ソ連との国交樹立により社会主義思想が広まるのを恐れ、社会主義者を取り締まることを目的として定められた。
世界恐慌が起こる
60.1929年
人・国くる(1929)しむ世界恐慌
世界恐慌
アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに世界が同時不況に突入した。
満州事変が起こる
61.1931年
中国といくさ一発(1931)、満州事変
満州事変
奉天郊外の南満州鉄道の爆破(柳条湖事件)をきっかけに満州を占領し、満州国として独立させた。国際連盟はリットン調査団を派遣。
五・一五事件が起こる
62.1932年
いくさに(1932)進む五・一五
五・一五事件
海軍青年将校が中心となり首相官邸などをおそい、犬養毅首相を暗殺。財閥や政党を倒し、軍中心の政府をつくる計画だったが失敗した。しかしこの事件以降、軍部が政治に干渉するようになった。
国際連盟を脱退する
63.1933年
松岡洋右、ひどくさみ(1933)しい国連脱退
国際連盟脱退
満州事変を調査したリットン報告書に基づき、国際連盟は日本軍の行動を不当とし満州国も認めなかった。これを不服とした国際連盟を脱退した。
ニ・ニ六事件が起こる
64.1936年
ひどく寒(1936)い日、ニ・ニ六
二・二六事件
陸軍の一部将校たちが政府を倒そうとした事件。斎藤実や、高橋是清などを殺害し、首相官邸や国会議事堂などを占領。国家の改造を要求した。こののち軍部は政治への発言権を強めた。
日中戦争が起こる
65.1937年
いくさ長びく(1937)日中戦争
日中戦争(〜1945)
北京郊外で発生した蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけにした日中間の戦争。第一次近衛文麿内閣は戦線不拡大を表明したが、次第に戦乱は拡大し全面戦争に突入した。
国家総動員法が制定される
66.1938年
いくさ始(1938)まり総動員
国家総動員法の制定
戦争遂行のため労務・資金・物資・物価・企業・動力・運輸・貿易・言論など国民生活の全分野を統制する権限を政府に与えた法律。議会を通さず勅令でおこなうことができるようにした。
第二次世界大戦が起こる
67.1939年
いくさ苦(1939)しむ第二次大戦
第二次世界大戦(〜1945)
ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まった。
日独伊の三国で軍事同盟を結ぶ
68.1940年
特使送って(1940)三国同盟
日独伊三国軍事同盟
3国が、第二次世界大戦下で手を結んだもの。日中戦争や世界大戦で、3国は互いに協力することを決めた。三国同盟は日本とアメリカの対立の原因となり、日米開戦へ突入していった。
大政翼賛会がつくられる
69.1940年
いくよ俺(1940)たち、大政翼賛会
大政翼賛会の発足
それまでの政党を解散し、近衛文麿首相を中心につくった政府への全国民的協力組織。すべての国民を統制し、戦争に協力させた。大戦中、言論や思想などあらゆる面を支配し統制した。
日ソ中立条約が結ばれる
70.1941年
南に行く用意(1941)ができた日ソ中立条約
日ソ中立条約
どちらかが他国と戦争になっても中立を守る約束をした。これでソ連はドイツに備えることができ、日本はソ連を気にせず、南進政策を進めた。1945年ソ連は条約不延長を通告。8月に対日宣戦した。
太平洋戦争が起こる
71.1941年
行くよひと(1941)飛び真珠湾
太平洋戦争が始まる
12月8日、日本海軍のハワイ攻撃により開始。ミッドウェー海戦の敗北で戦局が不利になり1945年8月ポツダム宣言の受諾で終結。開戦時の首相は東条英機。
ポツダム宣言を受け入れて降伏する
72.1945年
ひどく汚(1945)れて日本降伏
ポツダム宣言受諾
米・英・中の3国による日本に無条件降伏を要求する共同宣言。内容は、軍国主義の除去、日本占領、領土制限、軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰、軍需産業の廃止など。
男女の普通選挙が実現する
73.1945年
行くよご婦人(1945)初投票
女性参政権が認められる
女性の選挙権・被選挙権が認められ、翌年1946年の衆議院選挙で、日本初の女性議員39名が誕生した。
日本国憲法が公布される
74.1946年
一句読む(1946)、戦争放棄の新憲法
日本国憲法の公布
GHQが原案を提示。1946年11月3日公布、1947年5月3日施行。
教育基本法が公布される
75.1947年
行くよな(1947)君も6・3・3・4制
教育基本法公布
教育の機会均等、義務教育、男女共学などの基本的なあり方を示した新しい学校制度ができる。
毛沢東を中心に中華人民共和国が成立
76.1949年
一国よく(1949)できた中華人民共和国
中華人民共和国の成立
終戦後、再び内戦が起こり、毛沢東を中心に中華人民共和国が成立。蒋介石の国民党は台湾に逃れる。
朝鮮戦争が起こる
77.1950年
特需はこれから(1950)朝鮮戦争
朝鮮戦争が起こる(〜1953)
アメリカは大韓民国を支援。中国は大量の義勇兵を送り北朝鮮を支援した。1953年には北緯38度線を基準に休戦協定が成立。日本経済は特需で潤った。
平和条約に調印する
78.1951年
遠く恋(1951)しいシスコで平和条約調印
サンフランシスコ平和条約
アメリカを中心とした西側との講和条約。48か国との間に締結。ソ連を中心とした東側は不参加、もしくは調印拒否した。日本の全権は吉田茂。この条約で日本は主権を回復した。
日米安全保障条約に調印する
79.1951年
ひどく強引(1951)に安保条約
日米安全保障条約
サンフランシスコ平和条約とともに日本とアメリカに締結された日本の防衛のための条約。1960年の安保改訂を経て現在に至る。
第1回アジア・アフリカ会議がインドネシアのバンドンで開かれた
80.1955年
ひどく午後(1955)暑いアジア・アフリカ
第1回アジア・アフリカ会議
インドネシアのバンドンで開かれた日本を含む29か国が参加した会議。アジア・アフリカの旧植民地国が独立後、欧米諸国を入れずに結集した初めての国際会議だった。
日ソの国交が回復する(日ソ共同宣言)
81.1956年
退くころあい(1956)見て日ソ国交回復
日ソ共同宣言
第二次世界大戦における日本・ソ連間の戦争状態を終了させた宣言。鳩山一郎首相がモスクワで調印。両国間の北方領土の主張が食い違い、現在でも平和条約の調印は行われていない。
日本が国連に加盟する
82.1956年
国連に行くころ(1956)だよ日本の加盟
日本が国際連合に加入
日ソ共同宣言をうけて1956年12月、第3次鳩山内閣のもとで国際連合加盟が実現した。日本は国際社会に復帰。
東海道新幹線が開通する
83.1964年
特急無視(1964)して新幹線
東海道新幹線開通
東京−新大阪間。この年、日本最初の高速道路である名神高速道路も開通した。
東京オリンピック開催
84.1964年
一苦労し(1964)て五輪成功
東京オリンピック
第18回オリンピック大会が東京で開催された。1940年の東京大会が戦争で中止されたため、アジア最初の大会となる。
日韓基本条約が結ばれる。
85.1965年
ひどくむごかった(1965)日韓関係
日韓基本条約
日本と韓国は国交を正常化した。
大阪で万国博覧会が開かれる
86.1970年
行くな大阪(1970)、博覧会
大阪万国博覧会
大阪万博とも呼ばれる。アジアで開かれた最初の万国博覧会で、基本テーマは「人類の進歩と調和」。
沖縄が返還される
87.1972年
行く夏(1972)、沖縄、日本に返還
沖縄返還
1972年5月に返還が実現したが、米軍基地の多くはそのまま残り、多くの問題を抱えている。
日中の国交が回復する(日中共同宣言)
88.1972年
ひどい苦難に(1972)耐えて日中国交回復
日中国交回復
田中角栄首相が訪中し日中共同声明を発表。日中の国交が回復した。これにより中華民国(台湾)とは断交。
石油危機が起こる
89.1973年
遠くなみだ(1973)でかすむアラブの石油
第一次石油ショック
第4次中東戦争をきっかけに、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が石油の減産・禁輸、石油輸出国機構(OPEC)が原油価格を4倍に引き上げた。日本でも買い占めがおこり物価が高騰した。
日中平和友好条約が結ばれる
90.1978年
ひどく悩んで(1978)日中平和友好条約
日中平和友好条約
日中共同声明での国交樹立後の日本と中国の平和友好関係を進め、経済・文化関係の発展をうたっている。
消費税が施行される、税率は3%
91.1989年
いくばく(1989)かもらいます、消費税
消費税実施
竹下登内閣によって実施。当初は3%であった。
ベルリンの壁が崩壊する
92.1989年
行くぞ約束(1989)、壁壊し
ベルリンの壁が取り壊される
冷戦の象徴といわれ、東西ドイツを隔ててきたベルリンの壁が取り壊された。ベルリンの壁は旧東ドイツ政府が国民の西側諸国への脱出をふせぐため1961年に造った。
東西ドイツが1つになる
93.1990年
ひとつくくれ(1990)と、ドイツの統一
東西ドイツ統合
ドイツは第二次大戦で資本主義の西ドイツと社会主義の東ドイツに分断されていた。
湾岸危機が起こる
94.1990年
イラク急を(1990)告げる湾岸危機
湾岸戦争の勃発
1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻した。これに反発した国によってアメリカ軍を主力とする多国籍軍が組織され、イラクへ空爆をした。日本は90億ドルの資金援助をおこなった。
ソビエト連邦が解体する
95.1991年
解体し、ゴルビーひどく悔い(1991)残る
ソビエト連邦の解体
ソ連の経済回復を目指しゴルバチョフが政権をとり、民主化と経済革命を進めるが失敗。ゴルバチョフが辞任し、ソ連を構成した15国の11カ国で独立国家共同体(CIS)ができ、ソ連は解体した。
自衛隊がカンボジアに派遣される
96.1992年
自衛隊、遠く国(1992)はなれてPKO
PKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)が成立
自衛隊が国連の平和維持活動に参加することが可能となり、UNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)の要請でカンボジアに派遣された。
欧州連合(EU)が発足する
97.1993年
ひどく臭(1993)かった欧州連合
ヨーロッパ連合(EU)の設立
マーストリヒト条約により、それまでのヨーロッパ共同体(EC)をもとに、さらに強いヨーロッパの関係を築くことを目的として設立された。
阪神・淡路大震災が起こる
98.1995年
行くぞ救護(1995)へ大震災
阪神・淡路大震災
1月17日の早朝、兵庫県南部を中心に直下型大地震が発生。6000人以上の死者を出した。
アメリカで同時多発テロが起こる
99.2001年
ビル2つまるまる一瞬(2001)で消えたテロ
アメリカで同時多発テロが起こる
国際テロ組織アルカイダによりニューヨーク・ワシントンで航空機による無差別テロがおこる。ハイジャックされた航空機が世界貿易センタービルに激突。死者3千人の被害が出た。
EUでユーロの流通が始まる
100.2002年
EUの旗ふるお礼に(2002)ユーロをあげる
EUでユーロの流通がはじまる
EU(ヨーロッパ連合)で統一通貨のユーロが流通される。2012年現在EU加盟国27カ国のうち17カ国で導入されている。
イラク戦争が起こる
2003年
フセインまるまる散策(2003)イラクに侵攻
イラク戦争が起こる
テロ支援、大量破壊兵器の保有などを口実にアメリカやイギリスがイラクに侵攻。サダム・フセイン政権を崩壊させた。