【年表暗記 最重要100選】200から重要なもの100に厳選
1.
奴国の王が漢に使いを送る
2.57年
こんな(57)金印がほしかった奴国の王
倭の奴国が漢に使者を送る
それに対して、光武帝が「漢委奴国王」の金印を授けた。後漢書の東夷伝に記述。金印は1784年に福岡県志賀島で発見。
卑弥呼が魏に使いを送る
3.239年
文く(239)ださいと魏に使いを送る卑弥呼
卑弥呼が魏に使いを送る
卑弥呼に親魏倭王の称号や銅鏡が与えられる。魏志の倭人伝に記述。
仏教が伝わる
4.538年
百済の仏に、ご参拝(538)
百済から仏教が伝来
欽明天皇の時代に百済の聖明王から仏教が伝来した。552年とする説もある。
聖徳太子が摂政になる
5.593年
国民(593)歓迎、聖徳太子が摂政に
聖徳太子が摂政になる
おばの推古天皇の摂政となり,大臣(おおおみ)の蘇我馬子と協調しながら政治を行った。
冠位十二階を定める
6.603年
労を見(603)せる12の冠
冠位十二階の制が作られる
氏姓制度の弊害除去、人材登用を目的とした我が国最初の位階の制度。徳・仁・礼・信・義・智の6つをそれぞれ大小に分け、冠の色と飾りで区別した。
十七条の憲法を定める
7.604年
群れ寄る(604)役人、十七条
十七条の憲法(憲法十七条)を制定
聖徳太子が定めた日本最初の成文法。憲法と呼ばれているが、役人や豪族などが守るべき心得を明らかにしたもの。
遣隋使を派遣する
8.607年
無礼な(607)遣隋使、小野妹子
遣隋使(小野妹子)の派遣
隋の皇帝は煬帝で、翌年答礼使の裴世清が来日した。
大化の改新が始まる
9.645年
蒸しごはん(645)で祝う大化の改新
大化の改新
中大兄皇子、中臣鎌足らが蘇我氏を倒し、始めた天皇中心の政治改革。律令国家体制の礎となった。(1)公地公民(2)班田収授法(3)全国を国と郡に分ける(4)租庸調の税制などを定めた。
壬申の乱が起こる
10.672年
壬申で天下を取るぞ胸づもり(672)
壬申の乱
天智天皇の死後おこった後継者争い。弟の大海人皇子が、子の大友皇子を破り即位し、天武天皇となる。
大宝律令が制定される
11.701年
名を一番(701)につけよう大宝律令と
大宝律令の制定
文武天皇の時代。刑部親王・藤原不比等らが編さん。
奈良に都を移す(平城京)
12.710年
なんと(710)立派な奈良の都の平城京
平城京遷都
元明天皇が藤原京から遷都。
「古事記」がつくられる
13.712年
ナイフ(712)で切り貼り、古事記の編さん
古事記の編さん
稗田阿礼(ひえだ の あれ)が語った話を太安万侶(おお の やすまろ)が筆録するという方法で、太古から推古天皇までの歴史が記述されている。
「日本書紀」が完成する
14.720年
何を(720)伝える「日本書紀」
日本書紀の編さん
舎人親王(とねりしんのう)を中心として編さんされ、太古から持統天皇までの歴史が記述されている。
墾田永年私財法が出される
15.743年
三代の制限なしさ(743)、墾田永年私財法
墾田永年私財法
開墾した土地の永久私有が認められ荘園ができる。聖武天皇の世だが、政治の実権は橘諸兄が握っていた。
京都の平安京に都を移す
16.794年
鳴くよ(794)うぐいす平安京
平安京遷都
桓武天皇が和気清麻呂の建議で長岡京から遷都。平城京と同じく唐の都、長安をまねて作られた。
藤原良房が摂政になる
17.866年
やろう胸(866)はり摂政の仕事
藤原良房が摂政となる
皇族以外ではじめて摂政の座に就いた。また、藤原家全盛の礎を築いた存在で、良房の子孫達は相次いで摂政や関白となった。
遣唐使を停止する
18.894年
白紙(894)に戻す遣唐使
遣唐使の停止
菅原道真が宇多天皇に建議した。航海の危険A唐の衰退B外国文化吸収意欲の衰退などが原因。なお、実際に遣唐使として最後に渡航したのは838年。
平将門の乱が起こる
19.935年
組ごと(935)戦う将門の乱
平将門の乱(〜940)
関東で反乱を起こし自らを新皇と称しが、鎮圧された。平将門の乱・藤原純友の乱をあわせ承平・天慶の乱と呼ぶ。この事件を題材とした物語が「将門記」で、最初の軍記物語といわれている。
藤原道長が摂政になる
20.1016年
十色(1016)に輝く道長全盛期
藤原道長が摂政になる
藤原氏による摂関政治全盛期の氏長者。1017年に太政大臣となる。
白河上皇が院政を始める
21.1086年
入れてやろうか(1086)白河院政
院政の開始
白河上皇は堀河天皇に譲位したが、院政によって自ら政治を行った。
保元の乱が起こる
22.1156年
いいころ(1156)起こって清盛・義朝の勝利
保元の乱
崇徳上皇と後白河天皇の対立に藤原氏、源氏、平氏が加わり、乱に発展した。天皇側が勝利し崇徳上皇は讃岐に流された。天皇側についた平清盛や源義朝ら武士が政界に進出するきっかけとなった。
平治の乱が起こる
23.1159年
人々ごくろう(1159)と勝った清盛
平治の乱
平清盛が源義朝を破る。後白河法皇の院政が続いていたが、以降の平氏政権が確立した。
平清盛が太政大臣になる
24.1167年
日々むなしい(1167)道長まねた大臣清盛
平清盛、太政大臣に就任
最初の武家出身太政大臣となった。
平氏が壇ノ浦で滅亡する
25.1185年
いいやここ(1185)までで平氏の滅亡壇ノ浦
平氏の滅亡(壇ノ浦の合戦)
一の谷の戦い、屋島の戦いを経て壇ノ浦で源平最後の合戦が行われた。安徳天皇は入水し、平家一門は滅亡した。
源頼朝が征夷大将軍になる
26.1192年
いい国(1192)つくろう鎌倉幕府
鎌倉幕府成立
後白河法皇の死後、後鳥羽天皇によって源頼朝が征夷大将軍に任命された。
承久の乱が起こる
27.1221年
人に不意(1221)うち承久の乱
承久の乱
源実朝の死後、後鳥羽上皇が幕府打倒を企て起こした。執権の北条義時は軍を派遣し鎮圧した。後鳥羽上皇は隠岐に流され、京都に六波羅探題が設置された。北条政子の「尼将軍の演説」が有名。
御成敗式目(貞永式目)が制定される
28.1232年
北条泰時は1日3人を(1232)御成敗
御成敗式目(貞永式目)の制定
執権北条泰時によって定められた鎌倉幕府の基本法。51ケ条が定められた。武家による最初の成文法。
元軍が襲来する(文永の役)
29.1274年
元軍昨日の位置になし(1274)
文永の役
元寇(げんこう)最初の事件。執権北条時宗を中心に戦ったが、元軍の集団戦法や火薬の使用に悩まされた。暴風雨に助けられ撃退した。
元軍が再び襲来する(弘安の役)
30.1281年
人には言(1281)えない元の2度負け
弘安の役
2度目の元寇。再び暴風雨に助けられ元軍を撃退した。2度の元寇で、御家人竹崎季長(すえなが)の活躍を描いたのが「蒙古襲来絵巻」である。
鎌倉幕府が徳政令を出す
31.1297年
徳政令、皮肉な(1297)結果の経済混乱
永仁の徳政令
鎌倉幕府が御家人の窮乏を救うためにだした、日本最初の徳政令。徳政令とは借金などを無効にする法令。御家人でない者は大きな損害をこうむり幕府の信用は失墜した。
鎌倉幕府が滅びる
32.1333年
一味さんざん(1333)鎌倉幕府の滅亡
鎌倉幕府が滅亡
事実上の最後の執権北条高時は鎌倉を新田義貞に攻められ自殺。鎌倉幕府は滅亡した。六波羅探題は足利高氏(のちの尊氏)に滅ぼされた。
建武の新政が始まる
33.1334年
いざ見よ(1334)建武の新政を
建武の新政
後醍醐天皇による建武の新政は、恩賞が公家に厚く武士に少ないなどの理由で武士からの評判が悪く、足利尊氏の反乱で3年足らずで崩壊した。
足利尊氏が室町幕府を開く
34.1338年
父さんみやげは(1338)できたて室町幕府
室町幕府の成立
足利尊氏が光明天皇(持明院統)から征夷大将軍に任じられる。
南北朝が合一する
35.1392年
いざ国(1392)まとめよ南北合一
南北朝合一
足利義満により南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位するという形式で統一された。以後は交互に天皇を出すことが定められたが守られなかった。
足利義満が勘合貿易を始める
36.1404年
義満さん、貿易始めた年教えてよ(1404)
勘合貿易の開始
倭寇と区別するため勘合を利用した貿易を始めた。
正長の土一揆が起こる
37.1428年
いっしょにやるぞ(1428)正長の土一揆
正長の土一揆
高利貸を営んでいた酒屋・土倉・寺院などを農民が襲った。
応仁の乱が起こる
38.1467年
人の世むな(1467)しい応仁の乱
応仁の乱が起こる
東軍の細川勝元と西軍の山名持豊(宗全)の対立、将軍の跡継ぎ争いなどを起因とした大乱。以降、幕府の支配地は山城国のみとなり、幕府権威は失墜し戦国時代となる。
山城の国一揆が起こる
39.1485年
いっしょはごめん(1485)だ山城の国一揆
山城の国一揆(〜1492)
一揆を起こした山城の国人や土民が、8年間にわたって自治を行った。
加賀の一向一揆が起こる
40.1488年
一向宗ヤーヤー(1488)さわぐ、加賀一揆
加賀の一向一揆
一向宗の宗徒たちが加賀の守護を倒し、約百年間にわたって自治を行った。織田信長が柴田勝家に攻めさせ、1580年に滅ぼされた。
鉄砲が種子島に伝来する
41.1543年
以後予算(1543)は鉄砲に
鉄砲伝来
種子島の島主がポルトガル人から鉄砲二丁を購入した。
キリスト教が伝わる
42.1549年
以後よく(1549)広まるキリスト教
キリスト教の伝来
スペイン人のイエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルによって鹿児島に伝えられた。
桶狭間の戦いが起こる
43.1560年
今川軍、いまごろ驚く(1560)桶狭間
桶狭間の戦い
今川義元が3万の軍勢を率いて京都へ上がろうとし、織田信長を攻めたが、信長が3千の兵で今川軍を倒した。以後信長は全国統一に乗り出した。
室町幕府が滅びる
44.1573年
以後涙(1573)の足利将軍
室町幕府の滅亡
織田信長が自ら擁立した室町幕府の15代将軍足利義昭を追放し、室町幕府は滅亡した。
本能寺の変が起こる
45.1582年
行こう奴(1582)は本能寺
本能寺の変
天下統一を目前にした織田信長が家来の明智光秀によって京都の本能寺で討たれる。明智光秀は山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れ、逃亡中に殺された(三日天下)。
豊臣秀吉が太閤検地を行う
46.1582年
十五夜に(1582)検地を行う太閤秀吉
太閤検地
全国的規模で検地を行い、土地の単位を石高に統一。この検地によって中世以来続いてきた荘園が完全に消滅した。
豊臣秀吉が刀狩りを行う
47.1588年
行こうバンバン(1588)刀狩り
刀狩令
百姓が刀などの武器を持つことを禁じた命令。これによって兵農分離が進んだ。
豊臣秀吉が全国を統一する
48.1590年
戦国丸く(1590)治めた秀吉統一
豊臣秀吉が全国を統一
四国、九州を平定後、秀吉は大軍で小田原城を包囲し北条氏政・氏直を降伏させた。
豊臣秀吉が朝鮮に出兵をする
49.1592年
異国に(1592)出兵、文禄の役
文禄の役
最初の朝鮮出兵。日本軍は平壌まで進んだが明軍の来援もあり、停戦講和した。
豊臣秀吉が朝鮮に2度目の出兵をする
50.1597年
以後苦難(1597)の慶長の役
慶長の役
二回目の朝鮮出兵。秀吉の病死を契機に撤退。2度にわたる朝鮮出兵の際、活字印刷術が伝来した。
関ヶ原の戦いが起こる
51.1600年
ヒーロー雄々(1600)しく関ヶ原
関ヶ原の戦い
美濃国関ケ原で石田三成らの西軍(約8万)が徳川家康の東軍(約10万)と戦って敗北(天下分け目の合戦)。わずか1日で終わった。
徳川家康が江戸幕府を開く
52.1603年
疲労おさ(1603)えて家康将軍になる
江戸幕府成立
徳川家康が征夷大将軍に任じられる。1867年の15代将軍徳川慶喜による大政奉還まで、約260年間にわたる江戸時代が始まる。
武家諸法度が定められる
53.1615年
異論以後(1615)なし武家諸法度
武家諸法度の制定
江戸幕府の大名統制法。
参勤交代の制度が定められる
54.1635年
色みごと(1635)です、大名行列
参勤交代を制度化
大名を江戸に一定期間交代で参勤させた。妻子は人質代わりに江戸住まいとした。江戸と国の往復や二重生活のため出費がかさみ、藩の財政は困窮した。
島原の乱が起こる
55.1637年
キリシタン、一路みんな(1637)で島原へ
島原の乱(〜1638)
九州の島原、天草地方を中心にキリシタンが反乱を起こし、天草四郎を総大将に原城にたてこもった。
鎖国が完成する
56.1639年
異論さく(1639)れつ鎖国の完成
ポルトガル船の来航禁止
これによって鎖国が完成。以降、長崎で出島を通じてオランダ、清とのみ貿易を行う。
生類憐れみの令が出される
57.1687年
色はな(1687)やかなお犬様
生類憐みの令
5代将軍綱吉による極端な動物愛護令。綱吉は子に恵まれず、子を授かるため戌年生まれにちなんで特に犬を大事にした。1709年廃止。
徳川吉宗が享保の改革を始める
58.1716年
吉宗はいーなヒーロー(1716)米将軍
8代将軍吉宗による享保の改革
(1)新田開発、(2)上米の制、(3)足高の制、(4)年貢率引き上げ(定免法)、(5)公事方御定書、(6)目安箱の設置、(7)大岡忠相の町奉行への登用など。「米将軍」と呼ばれた。
松平定信が寛政の改革を始める
59.1787年
非難花(1787)さく寛政の改革
老中松平定信による寛政の改革の開始
(1)囲米の制、(2)寛政異学の禁、(3)人足寄場の設置、(4)帰農令、(5)棄捐令などを実施した。
水野忠邦が天保の改革を始める
60.1841年
人は良い(1841)忠邦、天保の改革
老中水野忠邦が行った天保の改革の開始
(1)棄捐令(きえんれい)、(2)株仲間の解散、(3)人返し令、(4)上知(地)令(あげちれい)などをおこなったが、上知(地)令への反発が強く失脚した。
ペリーが浦賀に来航する
61.1853年
いや降参(1853)します、ペリーの黒船
ペリーが浦賀に来航
アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーがフィルモア大統領の国書を持って軍艦4隻で浦賀に来航し開国を求める。翌年再び来航し日米和親条約を締結。
日米和親条約を結ぶ
62.1854年
一夜こし(1854)鎖国が終わった和親条約
日米和親条約に調印
下田、箱館を開港した。同様の条約をオランダ、イギリス、ロシアとも締結。当時の幕政の中心は老中阿部正弘であった。
日米修好通商条約を結ぶ
63.1858年
一番ごやっかい(1858)な通商条約
日米修好通商条約に調印
大老井伊直弼が天皇の許可を得ずにハリスと調印。箱館のほか、神奈川、長崎、新潟、兵庫を開港。領事裁判権(治外法権)の承認、関税自主権がないなど日本に不平等な条約だった。
桜田門外の変が起こる
64.1860年
井伊の野郎を(1860)、桜田門外で暗殺
桜田門外の変
安政の大獄に憤激した水戸・薩摩の脱藩浪士が江戸城の桜田門で大老井伊直弼を暗殺した事件。幕府の権威は失墜した。
薩長同盟が結ばれる
65.1866年
一夜ろくろく(1866)寝ずに結んだ薩長同盟
薩摩藩と長州藩が同盟を結ぶ
坂本龍馬の仲介で、反目しあっていた薩摩藩と長州藩が、倒幕に向け手を結んだ。
大政奉還が行われる
66.1867年
一夜むな(1867)しい大政奉還
大政奉還と王政復古の大号令
十五代将軍徳川慶喜が土佐の山内豊信(容堂)らの意見を受け入れ、政権を朝廷に返上。「王政復古の大号令」が出される。
五箇条のご誓文が出される
67.1868年
人はむやみ(1868)に破るなご誓文
五箇条の御誓文
明治天皇が神に誓う形式で発布された明治新政府の基本方針。「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ。」
版籍奉還が行われる
68.1869年
人はむく(1869)れる版籍奉還
版籍奉還
諸藩主が土地(版)と人民(籍)の支配権を朝廷に返上。旧藩主を知藩事として旧大名領の支配を継続させた。
廃藩置県が行われる
69.1871年
藩の一派泣い(1871)ても廃藩置県
廃藩置県
旧藩を廃止し全国を明治新政府の直轄地とする政策。薩摩・長州・土佐の武力を背景におこなう。旧藩の債務は新政府が引き継いだので大きな抵抗はなかった。
徴兵令が出される
70.1873年
人はなみだ(1873)の徴兵令
徴兵令
大幅な免除規定があり、実際に兵役が課せられたのは農家の次男・三男であった。
地租改正が始まる
71.1873年
いやな3%(1873)の地租改正
地租改正
明治政府が財政基礎の確立のため施行した土地、租税制度の改革。土地の所有者に地券を発行し、地価の3%を現金で納めさせた。
西南戦争が起こる
72.1877年
人は父(1877)と慕った西郷さん
西南戦争
征韓論に敗れて参議をやめた西郷隆盛を総大将とした鹿児島士族の反乱。徴兵令によって組織化された新政府軍に敗北した。日本最後の内乱。以後反政府活動は言論を中心に行われるようになった。
内閣制度ができる
73.1885年
批判はごめん(1885)の内閣制度
内閣制度発足
太政官制に代わって組織された最高行政機関。内閣総理大臣は天皇が指名した。初代の内閣総理大臣は伊藤博文。
大日本帝国憲法が発布される
74.1889年
いち早く(1889)アジアで憲法制定
大日本帝国憲法の発布(2月11日)
君主権の強いプロイセン(ドイツ)の憲法を手本とし伊藤博文を中心に作成された。秘密のうちに枢密院で審議され、天皇の定めた憲法として公布された。
日清戦争が起こる
75.1894年
一発急所(1894)に日清戦争
日清戦争
甲午農民戦争(東学党の乱)をきっかけに朝鮮の支配権をめぐって日本と清が戦った。日本が勝利し、「眠れる獅子」と呼ばれた清が敗れた。翌年、下関条約で講和。
日露戦争が起こる
76.1904年
日露戦争、勝った日本は得をした(1904)
日露戦争
朝鮮の支配権をめぐって日露が対立し戦争に発展。翌年、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトのあっせんによりポーツマス条約で講和した。
第一次世界大戦が起こる
77.1914年
行く人死(1914)んだ第一次大戦
第一次世界大戦(〜1918)が起こる
サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を理由に参戦。ドイツが中国で支配してた青島などを占領。さらに中国に二十一か条の要求を突きつけた。
米騒動が起こる
78.1918年
行く人は(1918)米よこせと大騒動
米騒動
シベリア出兵にともなう米の買い占めや売り惜しみが原因で米価が急騰。富山県の漁村の主婦が起こした一揆をきっかけに騒動が各地で起こった。政府は軍隊を出動させ鎮圧。寺内正毅内閣が崩壊した。
国際連盟ができる
79.1920年
ひとつ国まるめて(1920)国際連盟
国際連盟の成立
アメリカ大統領ウィルソンの提唱で設立された。本部はスイスのジュネーブ。発足当初の常任理事国は英・仏・日・伊。提唱国のアメリカは上院の反対で不参加。
関東大震災が起こる
80.1923年
大震災、遠くに見(1923)える焼野原
関東大震災
マグニチュード7.9。死者10万人を超える震災。混乱の中で数千人の朝鮮人や、社会主義者に対する虐殺事件がおきた。震災の起こった9月1日は防災の日となった。
世界恐慌が起こる
81.1929年
人・国くる(1929)しむ世界恐慌
世界恐慌
アメリカのニューヨークでの株価暴落をきっかけに世界が同時不況に突入した。
満州事変が起こる
82.1931年
中国といくさ一発(1931)、満州事変
満州事変
奉天郊外の南満州鉄道の爆破(柳条湖事件)をきっかけに満州を占領し、満州国として独立させた。国際連盟はリットン調査団を派遣。
五・一五事件が起こる
83.1932年
いくさに(1932)進む五・一五
五・一五事件
海軍青年将校が中心となり首相官邸などをおそい、犬養毅首相を暗殺。財閥や政党を倒し、軍中心の政府をつくる計画だったが失敗した。しかしこの事件以降、軍部が政治に干渉するようになった。
国際連盟を脱退する
84.1933年
松岡洋右、ひどくさみ(1933)しい国連脱退
国際連盟脱退
満州事変を調査したリットン報告書に基づき、国際連盟は日本軍の行動を不当とし満州国も認めなかった。これを不服とした国際連盟を脱退した。
ニ・ニ六事件が起こる
85.1936年
ひどく寒(1936)い日、ニ・ニ六
二・二六事件
陸軍の一部将校たちが政府を倒そうとした事件。斎藤実や、高橋是清などを殺害し、首相官邸や国会議事堂などを占領。国家の改造を要求した。こののち軍部は政治への発言権を強めた。
日中戦争が起こる
86.1937年
いくさ長びく(1937)日中戦争
日中戦争(〜1945)
北京郊外で発生した蘆溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけにした日中間の戦争。第一次近衛文麿内閣は戦線不拡大を表明したが、次第に戦乱は拡大し全面戦争に突入した。
第二次世界大戦が起こる
87.1939年
いくさ苦(1939)しむ第二次大戦
第二次世界大戦(〜1945)
ドイツがポーランドに侵入し、第二次世界大戦が始まった。
太平洋戦争が起こる
88.1941年
行くよひと(1941)飛び真珠湾
太平洋戦争が始まる
12月8日、日本海軍のハワイ攻撃により開始。ミッドウェー海戦の敗北で戦局が不利になり1945年8月ポツダム宣言の受諾で終結。開戦時の首相は東条英機。
ポツダム宣言を受け入れて降伏する
89.1945年
ひどく汚(1945)れて日本降伏
ポツダム宣言受諾
米・英・中の3国による日本に無条件降伏を要求する共同宣言。内容は、軍国主義の除去、日本占領、領土制限、軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰、軍需産業の廃止など。
日本国憲法が公布される
90.1946年
一句読む(1946)、戦争放棄の新憲法
日本国憲法の公布
GHQが原案を提示。1946年11月3日公布、1947年5月3日施行。
朝鮮戦争が起こる
91.1950年
特需はこれから(1950)朝鮮戦争
朝鮮戦争が起こる(〜1953)
アメリカは大韓民国を支援。中国は大量の義勇兵を送り北朝鮮を支援した。1953年には北緯38度線を基準に休戦協定が成立。日本経済は特需で潤った。
平和条約に調印する
92.1951年
遠く恋(1951)しいシスコで平和条約調印
サンフランシスコ平和条約
アメリカを中心とした西側との講和条約。48か国との間に締結。ソ連を中心とした東側は不参加、もしくは調印拒否した。日本の全権は吉田茂。この条約で日本は主権を回復した。
日米安全保障条約に調印する
93.1951年
ひどく強引(1951)に安保条約
日米安全保障条約
サンフランシスコ平和条約とともに日本とアメリカに締結された日本の防衛のための条約。1960年の安保改訂を経て現在に至る。
日本が国連に加盟する
94.1956年
国連に行くころ(1956)だよ日本の加盟
日本が国際連合に加入
日ソ共同宣言をうけて1956年12月、第3次鳩山内閣のもとで国際連合加盟が実現した。日本は国際社会に復帰。
東京オリンピック開催
95.1964年
一苦労し(1964)て五輪成功
東京オリンピック
第18回オリンピック大会が東京で開催された。1940年の東京大会が戦争で中止されたため、アジア最初の大会となる。
沖縄が返還される
96.1972年
行く夏(1972)、沖縄、日本に返還
沖縄返還
1972年5月に返還が実現したが、米軍基地の多くはそのまま残り、多くの問題を抱えている。
日中の国交が回復する(日中共同宣言)
97.1972年
ひどい苦難に(1972)耐えて日中国交回復
日中国交回復
田中角栄首相が訪中し日中共同声明を発表。日中の国交が回復した。これにより中華民国(台湾)とは断交。
石油危機が起こる
98.1973年
遠くなみだ(1973)でかすむアラブの石油
第一次石油ショック
第4次中東戦争をきっかけに、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が石油の減産・禁輸、石油輸出国機構(OPEC)が原油価格を4倍に引き上げた。日本でも買い占めがおこり物価が高騰した。
日中平和友好条約が結ばれる
99.1978年
ひどく悩んで(1978)日中平和友好条約
日中平和友好条約
日中共同声明での国交樹立後の日本と中国の平和友好関係を進め、経済・文化関係の発展をうたっている。
自衛隊がカンボジアに派遣される
100.1992年
自衛隊、遠く国(1992)はなれてPKO
PKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)が成立
自衛隊が国連の平和維持活動に参加することが可能となり、UNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)の要請でカンボジアに派遣された。
阪神・淡路大震災が起こる
1995年
行くぞ救護(1995)へ大震災
阪神・淡路大震災
1月17日の早朝、兵庫県南部を中心に直下型大地震が発生。6000人以上の死者を出した。